プロモ・アルテ ギャラリー
GALERIA 2F, 5-51-3, Jjingumae,Shibuya-ku,Tokyo,150-0001 phone:03-3400-1995 fax:03-3400-9526

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早川のばらカタリーナ個展「回復のちから」

" RESILIENCE " by Nobara Catalina Hayakawa

期間:2014年2月20日 (木) - 2月25日(火)/2F Project Gallery
時間:11:00〜19:00(最終日17時迄)月曜休廊
主催:PROMO-ARTE Latin American Art Gallery




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東京都渋谷区神宮前5-51-3 ガレリア2F
プロモ・アルテ

tel.:03-3400-1995
e-mail: info@promo-arte.com
 
今展の作家ノバラ・カタリーナはボゴタに移住した日本人の両親のもとに生まれ、幼い頃はピアノや声楽を学ぶ。1995年にコロンビア国立大学グラフィックデザイン科を卒業した後、チリに居住を移し、音楽を学ぶ一方、低温の嵐の大地とも呼ばれいているパタゴニアへも頻繁に出かけている。2003年に東京芸術大学にて修士を得て、画家、ミュージシャン、グラフィックデザイナー、パーフォーマンスと多岐に及んだ才能を芽吹かせ作家活動を広げる。2005年に故郷ボゴタに戻った作家は、家庭を持ちボゴタの大学にて美術を教える傍ら作家活動を続ける。

日本では8年ぶりの個展となる「回復のちから」展は、大都市の大気汚染や森林の伐採による自然破壊をテーマにした作品群ではあるが、よく見ると伐採された切り株から、新芽が輝き、それを観る他の切り株が微笑んでいる。また、灰色に染まった空や雲の表情に未来を感じさせるかのような作品群である。それらを通して強烈なメッセージが伝わってくるのを感じずにはいられない。



会場風景


会場風景


会場風景


会場風景


会場風景


会場風景


会場風景


会場風景


会場風景

会場風景


 

“回復のちから”に際して
アドリアナ・サラザール


早川のばらの絵とドローイングは、独特の視点で都市や自然環境のシーンを我々に語りかけている。
たとえば、ある作品の背景の空は輪郭のみにとどまりそこには大きな大気汚染による雲が広がり人の生活に入り込んでいるかのようだ。単色で彩色された雲の塊は鑑賞する者をまじまじと見つめているように見える。これらの不思議なエレメントは、人の命や生活の中に侵入してくる生命を失った物たちの存在を約言している。現代都市の構築が残す病弊を予知し、悲しんでいるのだ。

このテーマは早川のばらのそれぞれの作品の中で一貫している。
「微笑む汚染の雲」、「黙想して何かを待っている木の切り株」、「噴出する石油は歯をむき出して威嚇する」、「見知らぬ都市の頭上から我々を見つめる顔たちは現代生活に侵入してくるものを克服しようとする」、「原野から『逃れようとしている力』あるいは『特別な人々の顔』」なのである。


 

nobaranobara
クリックすると展覧会フライヤーをご覧いただけます。

ノバラ・カタリーナ・ハヤカワ 個展「回復のちから」に寄せる
正木 基(美術評論家)


「蛙の子は蛙」という諺がある。 ノバラ・カタリーナ さんの来歴を知ると、この諺のスペイン語"De tal padre, tal hijo."(この父からはこの子)をアレンジして、「この両親、あるいは家系からはこの子」とでもいいたくなる。が、ここで言いたいのは仔細な来歴ではなく、ピエール・ブルデューが提唱する「文化資本」のうちの「ハビトゥス」(身体化された形態の文化資本)という概念を、彼女の制作発表が思い起こさせるということなのだ。
例えば、彼女自身の手になるバイオの‘表現’を見ていただいても、その言語的な表現のウィットの奥行に、彼女の「ハビトゥス」がいかなるものであったかの一端を読み取ることができるだろう。まずは、その一部を・・・。

EDUCATION 
Early piano lessons with Professors Consuelo Mejía and Olga Shishkina (abandoned)
Vocal lessons at Pro-jazz School of Music, Santiago de Chile (unfinished)
Survival Skills under extreme temperatures, Chilean patagonia (frozen)
Bad English In Use (shameless)
Fearless live performances (sporadic)
Diploma in black humor and other Self-defence Arts
Japanese Intensive Language Course at Saitama University and Tokyo bars (delayed)
http://www.nousense.org/1D/index.htmll



この抜粋からは美術以外にも、様々な表現に関心を寄せ、その取り組みには自由自在であり、そのことを書き記すユーモアからは、彼女がいかなる表現者であるかが窺えるだろう。規範的また世俗的な価値観にとらわれることなく、自己の思いに素直に、人間が人間らしく、他者との共感関係の切り結びを様々な表現手段で求めていくありよう。そこに彼女生来の、物事を見、思索し、表現する性向というハビトゥスを読み取るのである。

今回の、彼女の展覧会タイトルは「回復のちから」。
新作群はどれも、一見、児童向け絵本やイラストブックの作品のようなかわいらしさをまとっている。が、一点一点作品を見れば、それがただの可愛さでないことは、一目瞭然。「acid rain(酸性雨)」「derrame(漏出)」「nubarron(雲)」「polución (汚染)」などの作品タイトルも示すように、 本展の主題は彼女の住むコロンビア(のボゴタの街)での日々の暮らしの中で感取する公害現象に喚起された思いであるに違いない。ここで重要なのは、彼女が告発調の表現を取らないこと。例えば、雨を自然の恵み、「慈雨」と受け止めている人々にとって、酸性雨の問題は、その問題性に気が付いた時の‘気づき’の問題として提出されている。「machi」の煙、「nubarron」の雲、「polucion」の雨雲の汚染が、憎めない表情で表現されているのは、この事態すべてが、人々が生きるための人為から発しているからで、そこに人々の営みへの愛着と共に自責の念とジレンマ、 人為の被害者という慈しみの彼女の思いが込められているからではないか。

例えば、根元から伐採された黒い切り株から、一本の細く青い枝葉が延びる作品「resilience(回復力)」や、無数の切断された樹木の「resilience2」や「woods1」「woods2」には、一本の樹木に始まるだろう回復の「ちから」への信頼が表明されている。それを、生きとし生けるものの生命力の強さへの共感という事はたやすい。そして、彼女の彼女らしいところは、ここで、その解決の方途ではなく、問題の投げかけがなされることで、それはその解決の困難の覚醒に依っているのかもしれない。というのは、「woods4」では、一本に一葉が芽生え始め、生命力のたくましさが確認されると共に、その回復を予兆する森林に「acid rain(酸性雨)」が降るという、新たな困難という輪廻が表現されているからである。彼女の作品は、そのような環境下におかれた人々がなせることは何か、という事を問う。その際の彼女の眼差しは、苦しめられ、伐採された森林を、黒々と排出される排煙を、大気汚染物質による酸性雨をも慈しんでいる。それらが人間の生活から生み出されたもの、しかも連鎖的な関係にあるならば、それらすべてへの慈しみ、労りの思いがあってしかるべきなのでは、と。彼女は性急な解決は求めない(求めえないことを知っている)。このような現状に発するささやかな‘思い’の共感の輪から何が始められるのか、併せて、絵画などの文化的な表現には何が可能なのかという問いが、このユーモラスで穏やかで柔和な表現には込められているのである。

彼女の制作=表現は、彼女の住むコロンビアの生活に発しているが、これは都市型生活の矛盾という点で日本にも共通する課題をはらんでいる。という事を踏まえた上で、彼女の制作の特徴の一つとして、今回のメディウムを様々に使いこなした作品のみならず、油彩、コラージュ、オブジェ、インスタレーション、パフォーマンス、映像という視覚表現、さらには音楽も、と多岐にわたっていることを思い起こすといいのかもしれない。彼女は、言葉=言説(だけ)ではなく、生活する表現者として、人間社会が生み出した矛盾を‘優しく’見つめ、そこから喚起される思いを、上記の多様多彩な表現に託すのだ。
展覧会タイトルが「回復のちから」と、「ちから」が仮名になっていることにも留意したい。漢字と違い、ひらがな表記の一音ずつを、心に留めるように、丁寧に発語することによって、切り株をはじめとする自然の生命力への慈しみを実感すること。とすると、彼女の言葉の使い方にも表現の「ちから」に対する信頼があることが窺えよう。こうした多様な表現への関心の保持、可能性の模索こそが、彼女のハビトゥスのありようなのだと思う。
そのハビトゥスの源が、日本からコロンビアに移住した造園家と画家の両親の、‘自由な精神に満ちた’家庭におけるハビトゥスの好影響であったとことは間違いないだろう。そうした両親との生活の中で慈しまれた彼女の作品は、コロンビアのボゴダ市の森林や都市の矛盾を、ただ簡略化して写すものではなく、また、告発としてすますものではない。逆に、慈しみの「ちから」を知る彼女なれば、彼女のまなざしの対象の矛盾を感取し、慈しむという優しい思いにとらわれるということは、上述の通り。

が、ここで少し美術的なことにも触れておかねばならない。
彼女はコロンビア国立大学グラフィック・デザイン科、東京芸術大学美術学部修士課程を卒業、その後の発表にはインスタレーションなどもあり、いわゆる現代美術的表現にも精通していたことがわかる。前述したように、今回の制作は、一見、絵本やイラストを思わせるものになっている。が、そのことは、彼女のブログに紹介されている同傾向の表現に、心持ちシュルレアリスティックな解釈表現がなされていたりするのを認めれば、様々な美術的表現の模索を経ての現在の到達点=未来への通過点であると首肯できるだろう( http://www.nousense.org/index.html )。ハビトゥスによって身体化された彼女の表現者としての性向が、美術史的規範、現代美術的表現からの逸脱を促し、彼女の今取り組む主題が、より個人的な資質によって湧出したという事なのだろう。美術史的、美術界的な規範から解き放たれた自由な表現への希求とすれば、彼女の作品を、自然と都市文化の中での共生の可能性の問いと、自らの生活から如何に表現を立ち上げるかの自問との相互補完的な両輪の輪とみなすことも可能なのである。

と書いてきたが、一つお断りをしておけば、実は、私自身、この作家に一面識もない。前出のブログで彼女の多様多彩な制作振りを知り、適さかに個展開催が予定されている画廊から教わった彼女の母親・竹久野生氏の著書『空飛ぶ絵師 アンデスから雲に乗って』(2011年、オフィスK)を読んだにすぎない。従って、本原稿はブログの画像と個展用に送付されてきた画像に触発され、その新作群に見えるのを楽しみにするにいたった思いを、気儘に認めてみたものである。彼女のハビトゥスのありようについても、作家本人に詳しくうかがうためにも・・・。

 

早川のばらカタリーナ

1973年コロンビア・ボゴタ生まれ。コロンビア国立大学グラフィック・デザイン科卒業。
その後ボゴタ及びチリでデザイナーとして活動。
2000年文部科学省の奨学金を得て、2003年東京芸術大学美術学部修士課程卒業。
2003年第4回SICFスパイラル展にて館長賞を受賞。
2004年シラキュース国際ヴィデオ・映画祭ヴィデオ作品上映。
2004年IDEE-R及びSAKAギャラリー企画グループ展に出展。
現在は、コロンビア・ボゴタに在住し、デザイン科の教授として教鞭に立つ傍ら、
歌・作曲・絵画を制作している。
www.nousense.org
 
 

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